西川甚五郎という人物をご存知ですか?
山形屋という屋号の二代目店主。
江戸時代初期に活躍した老舗の近江商人です。
西川甚五郎の活躍を見ると、商売繁盛の秘訣を紐解くことができます。
ビジネスや会社経営にも役立つヒントがたくさん隠されています。
さすが、近江商人はやっぱり違うね~!というエピソード。
とくとご堪能ください。
西川甚五郎の商売
江戸時代初期のころの話しです。
江戸幕府が開かれると、各地からこぞって人々が江戸へ移り住みました。
大名や商人、職人さんたちがぞくぞくと江戸へ移住します。
すると、急速に建設ラッシュが始まりました。
何もなかった土地にたくさん家が建てられていきました。
建設ラッシュが始まると、たくさんの建築材料が必要になります。
そこに目をつけたのが山形屋二代目の西川甚五郎です。
彼は江戸で畳を売る商売を始めました。
すると、これが予想通り大ヒットします。
いきなり商売が成功していきました。
ところが、江戸の建設ラッシュが終わると畳も売れなくなっていきます。
当然のことですよね。
西川甚五郎が次に目をつけたのが蚊帳です。
江戸はほとんどが埋立地だったので、あちこちに水たまりがありました。
そのため、大量の蚊が発生していました。
夏になると蚊がうるさくてなかなか寝付けない。
これが江戸の人々を悩ませていました。
そんな中で、西川甚五郎は蚊帳の商売を始めます。
ところが、蚊帳はなかなか売れません。
いったいどうすれば蚊帳が売れるのだろうか・・・
西川甚五郎は必死で考えます。
そして、いくつかのアイディアをひねりだしました。
まず、蚊帳の風通しをよくしました。
夏の夜は暑くて寝苦しいですからね。
風の通りがよくなればその分だけ涼しくなります。
そして、蚊帳の色も変更しました。
見た目に涼し気な薄緑色に改良したのです。
すると、ようやく蚊帳が売れるようになりました。
再び商売が繁盛していったんですね。
これが現在の西川産業に受け継がれています。
有名な寝具メーカーですね。
近江商人の心意気
近江商人というのは、今でいう滋賀県出身の商人です。
琵琶湖周辺というのは、江戸と京都、大阪の中間地点にあります。
どちらにも行きやすいという利点がありました。
そこで近江商人たちは、江戸や大阪、京都へ行商に行きます。
ござや蚊帳、薬などを売り歩きました。
また、各地で店舗も構えて商業界に大きな勢力を有しました。
近江商人たちの間で受け継がれているのが、「三方良し」の精神です。
- 売り手よし
- 買い手よし
- 世間よし
商売をやるうえで、世間に役立つことをするべし。
買い手に役立つことをするべし。
これによって売り手の利益が確保される。
この精神が代々受け継がれているのが近江商人です。
ビジネスでの応用
ビジネスをやっていると、いろんな壁にぶち当たります。
ずっと順風満帆な会社はありません。
時代は常に変化しています。
これまで売れていた商品が、ある日突然売れなくなる。
順調だった商売が、ある日突然不調になる。
こんなことはビジネスのシーンでよくあることです。
でも、分厚い壁にぶち当たっても悩むことはありません。
近江商人なら、このように考えます。
- 壁は行き止まりではない
- 壁は乗り越えていけるもの
- 避けて通ることも可能
- まったく違う道を見つけて進むこともできる
山形屋二代目の西川甚五郎のように。
新しいアイディアを発想することで、道は開けていくものです。